DEAR MY TWINS

双子の妊娠・出産・育児~子どもたちが成人するまでの回想録

008_妊娠6カ月:生きるのがこんなにも楽だとは!

吐き気のない世界が、こんなにも素晴らしいとは。生きるのがこんなにも楽だとは!

あの時の感動を思い出しました。双子に安定期は無いと言われますが、つわりから解放されてからの3週間が私にとっての安定期と言えたでしょう。

その3週間に両親学級へ行き、大都市に出かけ、キラキラ妊婦を気取りました。

母子手帳を見直すと、「母親(両親)学級」と表記されています。今のご時世「母親」という文言はきっと消えているのでしょうね。(そして配信で行われているのでは?)さて、その”母親(両親)学級”が保健センターで3回に渡って行われ、妊娠中のすごしかた、歯のケアと栄養バランス、出産や赤ちゃんのお風呂の入れ方を学んだのですが、これについては色々と思うところがあったので別でまとめます。

身体が動きやすくなり、街を歩き回るのは今しかない!と絶対にやっておきたかったのが、仕事の結果を見に行くことでした。メーカーで商品企画をしていたのですが、最後に関わった品番がちょうど店頭に並ぶころだったので拝んでおきたかったのです。工場での量産開始まであと一歩で投げ出すことになったのが心残りで、とても有能な先輩に引き継いでもらえたのは有難いことでしたが、忙しい人をさらに忙しくさせて申し訳ないという思いも乗っかった品番でした。売り場に近づくと華々しくディスプレイされているのが見えてきて、感無量でした。

いいタイミングで誕生日を迎えることになったので、五つ星ホテルのレストラン&宿泊プランを申し込みました。きちんと化粧をしてオシャレして、髪は美容院でセットしました。妊婦時代の写真を出せと言われたら、迷わずこの日の写真を見せびらかします。

私にとっての"安定期"は瞬く間に過ぎ、すでに臨月並みに成長したお腹で今度は苦しみ始めます。

 

 

007_妊娠5カ月:何をどうやって生きていたのか

退職した頃はつわりの極みでしたので、自宅で過ごす一日が凄絶、そして長い。

1日10時間は余裕でつぶせると目論んで当時最新作のドラクエ8をやることにしましたが、開始早々、もうダメでした。余計に気持ち悪くなりました。吐き気があってもゲームならできるだろうと思ったのですが、「何かに集中することで吐き気を忘れる」とはいきませんでした。

お腹は減るので食べないとフラフラしてきますが、食べても吐く。嘔吐は体力をすごく奪います。それでまたフラフラの繰り返し。

仕事をしていたころは手軽にジュースやゼリーばっかりとっていた気がします。ブドウゼリーを吐いたときは色のせいで吐血したと思ってビビったこともありました。妊婦リテラシーが低すぎの私は、冷蔵庫でキンキンに冷えた野菜ジュースを飲んでいたせいかお腹も下してえらいことに。ああ…、説教してやりたい。退職して時間にゆとりができて食事の支度を頑張りましたが、やっぱり食べるとほとんど吐いてしまいます。

毎日、何をどうやって生きていたのか?

 

それにどう辿り着いたのか今となっては謎ですが、唯一、吐かずに食べられたのがケンタッキーのチキンフィレサンドセット。もうダメだと思ったときに何度かエネルギー補給しに行きました。ケンタッキー様のおかげで生き延びたのかもしれません。

実家でしばらく休養したこともありました。横になっていた時に腰のあたりが痛痒いと思ったら、帯状疱疹ができていました。私、本当に弱っていたのですね。病院へ行くと、薬は出せるけど妊婦にどんな影響があるかはわかっていない、飲むなら早く服用する必要があるので今日すぐ飲んで、ということでした。悩みましたが、まずは自分が早く回復することが大事だと判断して薬を飲みました。

 

長かったつわりに終わりの兆しが見え始めたころ、スイカが食べたい!!と無性に思いました。「スイカを食べれば楽になる!」というお告げのようなものを感じたのです。自分で買いに行く気力体力が無かったので夫に頼みましたが、全然買ってこない。仕方なく、近所のスーパーへ、小さいカートを引きずりながらやっとの思いで行き、自分で買ってきて食べました。うまかった。

不思議なことにその日を境に本当にめちゃめちゃ元気になっていきました。

 

 

006_妊娠4カ月:元気なうちに制度を調べつくして

妊娠発覚から4カ月間つわりとお付き合いしました。目が覚めて最初の3秒はスッキリした気持ちでいられるのですが、即座に吐き気に襲われ、起きている間はずっとその状態が続きました。

初めは我慢できて仕事にも行けましたが、だんだんと吐き気をコントロールできなくなり、動くのもつらくなりました。仕事も休み、有休を使い果たして欠勤になると、勤務先が体調を案じてかけてくる電話の中に、いつ辞めてくれる?というプレッシャーを感じるようになりました。

結局は妊娠13週目で退職することになるのですが、傷病休暇という制度があったと思うので、それ使えるんじゃないの?別に辞めなくてもいいんじゃないの?と思いましたが、交渉する元気もなく、モヤモヤした気持ちを抱えて退職しました。が、正直そんなことは、ひどい吐き気で頭を働かす気になれず、もうどうでもよくなっていました。

妊娠する気があるなら、その前に、元気なうちに制度を調べつくして、いざという時はどう動くのか、手順をマスターしておくべきでしたね。つわりに限らず妊娠中は何が起こるかわからないですし、苦しい状態になってから調べたり考えたりするのは不可能に近いと思います。

20年前の私に教えてあげたい。

 

 

 

005_妊娠3カ月:紹介状は素晴らしい

3時間待って子どもが一人増えて、断られたけど、紹介状をゲットするところまで来ました。

看護師さんの案内で病院から紹介状をファックスで送り、電話で診察の予約を取りました。診察は後日なので、今日はここで退却。色々あった半日が過ぎてとても疲れました。

隣の隣の町の公立病院も私の予定日では予約不可となっていましたが、紹介状は素晴らしいですね。あっさりと受け入れてもらえました。(丸腰で挑んでも受け入れてくれるもんなんでしょうか?)

後で知ったのですが、そこはNICUがあり何が起きても大丈夫な頼もしい病院でした。高リスク妊婦の私にとって一番良い病院へ偶然たどり着いたとも言えます。が、ここでも強烈なパンチを食らいます。最初の診察で先生の第一声は

「うちでは多胎児は36週で帝王切開をします。その方が死亡率が低いので。」

えっ?! 嫌だぁぁぁ!

と心の中で叫びました。健康な体にメスを入れることには抵抗がありました。麻酔の注射も怖いし。そして子どもの誕生日がめっちゃ早くなったー!

そんな気持ちが頭の中を通過して、心はドタバタ、でも口から出た言葉は

「よろしくお願いします」

放浪の旅を続けるつもりはなかったので、腹を切る覚悟を決めました。

 

 

004_妊娠3カ月:母というよりチームリーダー

3時間待って子どもが1人増えて、そして断られた。その続きです。

双子だと告げられた時、頭頂から何かがサーッと落ちるのを感じました。血の気が引くとはこういうことでしょうか。母というよりチームリーダーになったという意識、同時に2人分の命を守ることになった緊張感と言ってもいいかもしれません。それが心にズドン!と入って震えたのを覚えています。

母と子が1対1だと思っていたころは、優しい幸福感の中、とてもリラックスした安心安定な状態でした。例えば、腕に抱いた一人の子を真っすぐ見つめているような、落ち着いたイメージです。それが右目と左目で違うものを同時に見なければいけない状態になったと感じました。バランス感が一瞬にして崩れ、リラックスした母子関係が吹っ飛び、私の中では緊張感のある「チーム」に変わったのでした。

肝心の分娩予約は、そこからさらに隣町の公立病院に紹介状を書いてもらえることになりました。実家からどんどん離れていくので里帰り出産なのか何なのか、もう分からなくなっています。こんなことなら自宅近くの最初に行った個人病院でいいんじゃないかという気もしてきます。

するとそばにいた看護師さんが耳元で一言

「双子は大きい病院で産んだほうがいいよ」

細かい説明は無かったけれど、素直に従うべきという感じがして、縁もゆかりもない土地の病院へ行くことにしました。

 

 

003_妊娠3カ月:分娩予約は速攻入れないとダメ

私が妊娠した当時はどんな時代だったかというと

合計出生率が史上最低

産婦人科医不足

こんなことが話題となっていました。

産婦人科医不足は私も影響を受けたのでしょうか。4件目で分娩予約が取れました。

とにかく分娩予約は速攻入れないとダメなのですね。予約を入れに行くにも仕事を休む必要があるし、また今度とのんびり構えておりましたら、姉からの伝言を伝える形で母から連絡が。姉は同じ年、先に出産を控えていました。

姉が予約を入れている実家近くの私立病院は、数カ月先まで予約一杯だと。つまり私の予定日ではそこでは産めないかもというのです。だから里帰り出産したかったら早く地元の病院で予約入れるべしとのこと。

姉は私のことを非常に心配しているようでした。出血後も休むことなく仕事へ行き、増々ひどくなるツワリでまともに食べることもできず、それに加えて分娩予約もしていない。私は里帰りするかどうかもまだ決めていませんでしたが、なんやかんやあって、実家近くで出産することにしました。

姉と同じ病院は予約を受け入れてもらえないのであきらめ、市立病院へ向かいました。するとなんと産科がクローズされている!市立病院なのに子どもが産めないって、それ本当なの?と半信半疑で問合わせると、医師不在になり今のところ再開の目途は立っていないとのこと。

それで仕方がなく隣町の市立病院へ行くことにしました。待合で3時間が経過、吐き気と格闘しながら「もう限界よ~」という頃に診察室に呼ばれ、分娩予約の話も順調良く進み、良かったーと思った矢先に、エコーを見ていた先生が…

「あれっ、もう一人いる」

双子であることを確認したのでした。

そして私の出産と同時期に別の双子の出産が既に入っている、双子2組はキャパオーバーなのでうちでは受け入れられない、という信じがたい言葉が耳に入ってきます。

受け入れられない…

えっ?振り出しに戻った?またもや彷徨うことになったのです。

 

 

 

002_妊娠2カ月(8週目):誰も答えられない質問

仕事中に嫌な感覚があってトイレへ行くと出血が。

こりゃまずいよね、病院行くべきよね、と焦る。

勤務先に妊娠のことはまだ伝えていなかったから、一瞬悩みましたが、同じチームの先輩に「実は…」と説明。

先輩は妊娠のことも突然で驚いたでしょうが、加えて流産しかけてるかもという状況に、早く行ってらっしゃいと言うしかなかったでしょうね。

急遽早退して病院へ行くと、定期検診は1か月後のはずが直ぐまたやってきたので、最初は医者も何の用?って感じだったのが、「出血してます」と言うと血相変えて診察してくれました。

胎児の心電図をみると心臓はちゃんと動いているから生きてますってことで、腕に流産止めの注射をブシュッと刺して帰りました。

とりあえず大丈夫でしたが、一定の確率で流産の可能性があるという現実は受け入れてくださいって感じだったのかな。育ってくれる子は育つし、そうでない子もいる、どうなるかはわからんって感じのことを助産師さんが言ってた気がするけど、焦ってたから記憶があいまい。

結局のところ、これから先は大丈夫なの?どうなの?私はそれが一番知りたかったのだけど、病院で答えを得ることはできませんでした。きっと誰も答えられない質問なのでしょう。

安堵したけど、今後の心配が全くないとは言えない。この不安定な気持ちを落ち着かせるため、帰りにカツ丼を食べに行き、そしてつわりの身で少々無理をしたなと後悔した。